塚元敦義
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塚元 敦義(つかもと あつよし、1913年[1] - 2000年[2][3])は、労働運動家。
旧制中学校中退で敗戦直前は海軍将校[4]。1948年2月三池炭鉱労働組合(三池労組)本所支部書記長[5]、1950年1月支部長[6]。灰原茂雄らとともに向坂逸郎を講師とした「向坂教室」といわれる学習会を組織[7]。1959~1960年の三池争議を現地で指導[8]。1963年8月争議指導責任で懲戒解雇[6]。1966年10月三池労組書記長[9]。1969年10月社会主義協会全国オルグ[6]。労働大学講師も務めた[10]。
著書[編集]
- 『労働者宣言』(労働大学[労大新書]、1969年)
- 『三池闘争』(労働大学[労大新書]、1974年)
- 『活動家誕生』(労働大学[労大新書]、1978年)
- 『職場からの組織づくり――生命と権利の強化』(灰原茂雄共著、日本社会主義青年同盟中央委員会[社青同学習シリーズ]、1980年)
- 『三池の労働者運動と社青同』(三池労働運動研究会編、三池労働運動研究会、1982年)
- 『家族ぐるみと大衆路線』(三池婦人運動研究会編、三池婦人連合研究会、1989年)
出典[編集]
- ↑ 塚元敦義『三池闘争』労働大学、1974年
- ↑ 島フミエ「塚元敦義元三池労組書記長のご逝去を悼みて」『社会主義』第443号、2001年1月
- ↑ 灰原茂雄「塚元敦義先輩と同志大津留宏氏を偲ぶ」『科学的社会主義』第21号、2001年1月
- ↑ 黒沢惟昭『国家・市民社会と教育の位相――疎外・物象化・ヘゲモニーを磁場にして』御茶の水書房、2007年
- ↑ 灰原茂雄編著『三池と向坂教室――向坂逸郎・灰原茂雄往復書簡をめぐりて』社会主義協会出版局、1989年
- ↑ a b c 石河康国「向坂逸郎にとっての三池 (シンポジウム 三池争議と向坂逸郎)(PDF)」『大原社会問題研究所雑誌』第631号、2011年5月
- ↑ 高木郁朗「灰原茂雄」、朝日新聞社編『現代人物事典』朝日新聞社、1977年、1013-1014頁
- ↑ 太田薫『わが三池闘争記――構造不況下の合理化反対闘争』労働教育センター、1978年
- ↑ 三池炭鉱労働組合編『みいけ20年』旬報社、1967年
- ↑ 小池唯夫編『政治記事に強くなる本――政治の複雑な仕組みから記事の裏の読み方まで』エール出版社、1977年