天誅組吉村寅太郎の墓
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天誅組吉村寅太郎の墓(てんちゅうぐみよしむらとらたろうのはか)とは、奈良県吉野郡東吉野村鷲家に存在する墓である。
概要[編集]
東吉野村役場の北東およそ2キロ、鷲家川南岸の杉林の中にある墓である。
吉村寅太郎とは、幕末の土佐藩士で尊王攘夷派であったが、文久3年(1863年)8月に侍従の中山忠光らを擁して藤本鉄石、松本圭堂らの同志と天誅組を結成して自らその総裁となり、当時江戸幕府の天領であった五條代官所を襲撃して討幕の挙兵をした。しかし、間もなく政変が起こってその名分を失うと一気に勢いを失い、逆に幕命を受けた諸藩の討伐を受けて各地を追われ、最終的に鷲家口付近の戦いで大敗して天誅組は壊滅し、自らも26歳で戦死した。
この墓は吉村の戦死から50年忌を記念して建てられたもので、その他に鷲家ミヨジ谷に7基、鷲家湯之谷に5基の志士の墓がある。