天誅組

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天誅組(てんちゅうぐみ)は、幕末期京都で組織された長州藩志士を根幹とする尊皇攘夷派の武装集団。中山忠光が組織した[1]。天忠組とも書く[1]

概要[編集]

公家であった中山忠光が朝廷から与えられた役職であった国事寄人を勝手に辞めて長州へ出奔、文久3年(1863年)6月に再度京都に戻り長州志士70~80人を集めて現在の奈良県にある桜井寺に本拠を置き、自らを天誅組と称し、「勅命に依りて攘夷の先鋒」と自称し四方にを飛ばした[1]

この中山忠光が飛ばした檄文を真実の勅命と信じ騙された十津川郷士らが天誅組に加担し、京都五条の幕府代官であった鈴木源内らが血祭りに挙げられるなどを筆頭に、その後暴徒と化して高取城を襲うなど狼藉を働いたが、最後には朝廷より紀州藩津藩彦根藩郡山藩の4藩に討伐令が下った[1]

天誅組は抗戦したもののほとんどが戦死または捕縛、首魁である中山忠光は単独で長州藩へ脱走し、朝廷の使いとして出向いた津藩の使者に対し長州藩は反抗し身柄引き渡しを拒絶した[1]

構成[編集]

主将
中山忠光
長州藩士
吉村寅太郎
藤本鉄石
松本謙三郎
安積五郎

ほか長州藩士70~80名、十津川郷士多数[1]

脚注[編集]