天田三紀夫

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天田 三紀夫1940年[1][2] - 2022年3月23日)は、新左翼活動家。革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)書記長。

群馬県前橋市出身[1]。1958年群馬県立前橋高等学校卒業[3]。1959年山梨大学工学部に入学[注 1]。1962年石川島播磨重工業に入社。革共同神奈川県委員会に所属[注 2]。1966年横須賀浦賀ドックに移り、地区党建設に従事[注 3]。1969年11月の佐藤首相訪米阻止闘争で逮捕され、1年間中野刑務所に服役[注 4]。1970年神奈川県委員長[注 5]。1991年から前進社の本社勤めとなる[1]。1997年12月の第20回全国委員会総会で書記長に就任[2][4][注 6]。2006年の「党の革命」で中野洋ら「労働者指導部とともに当時の政治局内の血債主義派を打倒して、国鉄決戦を基軸とする階級的労働運動路線を打ち立てた」[2]。2019年に「組織問題として爆発する党の重大な危機」の責任をとって書記長を辞任[2]。2019年7月にパーキンソン病が判明。2022年3月23日、病気療養中に死去。享年82歳[2]

脚注[編集]

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  1. 『狂おしく悩ましく』による[3]。『シニア左翼とは何か』『前進』には学部名の記載なし[1][2]
  2. 『前進』による[2]。『シニア左翼とは何か』では1963年石播に入社、中核派に加入[1]。『狂おしく悩ましく』では1963年山梨大学卒業、石播に入社[3]
  3. 『前進』による[2]。『シニア左翼とは何か』では1965年に石播を退社、専従活動家となる[1]。『狂おしく悩ましく』では「中核派の専従になったのは69年11月で逮捕·保釈後しばらくあと、という記憶です」[3]
  4. 『シニア左翼とは何か』による[1]。『狂おしく悩ましく』によると、未決拘留[3]
  5. 『前進』による[2]。『狂おしく悩ましく』によると、1970年時点の神奈川県委員長は天田ではない。1971年時点の天田は横浜南部地区委員長[3]
  6. 『シニア左翼とは何か』では1995年に書記長に就任[1]

出典[編集]

  1. a b c d e f g h 小林哲夫『シニア左翼とは何か』朝日新書、2016年、205-207頁
  2. a b c d e f g h i 革命的共産主義者同盟「天田三紀夫同志を追悼する」週刊『前進』04頁(3241号04面04)(2022/04/25)
  3. a b c d e f 天田三紀夫前書記長が逝去 『狂おしく悩ましく』、2022年5月3日
  4. 革命的共産主義者同盟とは 革命的共産主義者同盟全国委員会