大翔馬和侍

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大翔馬 和侍(だいしょうま たかひと 、1979年1月12日 - )は、高知県中村市(現在の四万十市)出身で追手風部屋所属の元大相撲力士。本名は佐伯 貴仁(さえき たかひと)、身長183cm、体重140kg。最高位は幕下4枚目(2005年9月場所、2006年1月場所)。得意技は突き押し、左四つ、寄り。血液型はA型、星座は山羊座。実家は居酒屋経営。高校社会科(商業)の教員免許を持っている。口癖は「顔じゃないよ」学生時代から常に使っていたらしい。

来歴[編集]

埼玉栄高等学校から日本大学に進学。埼玉栄高校では相撲部主将、日本大学相撲部では相撲部副主将(主将は成田純哉)を務める。卒業間際に社会科教員の採用試験が思ったより難しいと感じて教職の道を断念し、2001年1月場所に初土俵。タイトルに縁がなく、序ノ口からのスタートとなったが、同5月場所には序二段優勝を果たし、2002年11月には幕下上位まで番付を伸ばした。その後、番付を落としたものの、2004年から再び幕下上位に戻ってきて、2005年9月場所では最高位の幕下4枚目に番付を上げた。しかし、千秋楽の「入れ替え戦」に敗れ、3勝4敗。2006年1月場所も最高位タイに番付を上げたが、2勝5敗とまたもや負け越しとなってしまった。

これ以降は幕下中位から下位での土俵が続いていたが、稽古中の首の骨折のため2008年3月場所から3場所連続全休し序二段にまで陥落。9月場所で土俵に復帰し、1番相撲から6連勝したが、7番相撲で日大の後輩、山下に敗れ、優勝を逃す。前述の首の故障が元で、2009年1月場所を最後に引退した。

その他[編集]

  • 2005年9月場所隆の鶴、琉鵬戦、2006年1月場所若麒麟戦で十両の土俵に上がった。

改名歴[編集]

  • 佐伯 貴仁(さえき たかひと)2001年1月
  • 大翔馬 貴仁(だいしょうま-)2001年1月 - 2004年11月
  • 大翔馬 和侍(- たかひと)2005年1月 - 2009年1月

主な成績[編集]

  • 通算成績:175勝140敗21休(48場所)

各段優勝[編集]

  • 序二段優勝:1回(2001年5月場所)

関連項目[編集]