堂上蜂屋柿

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堂上蜂屋柿(どうじょうはちうやがき)とは、岐阜県美濃加茂市の特産物である。

概要[編集]

その昔、朝廷に献上されたことから堂上蜂柿と言われた。源頼朝はこれを食べたとき、蜂蜜のように甘い柿だから、村と柿を蜂屋と名付けるように命じ、蜂屋柿と改名されたといわれている。

織田信長の時代には、信長がこの柿で宣教師をもてなしたといわれ、ルイス・フロイスの『フロイス日本史』においても登場している。信長の死後、豊臣秀吉の時代になると、秀吉はこの柿を献上するならば労役や年貢米を免除することを認めたほどである。

明治時代になるとパリ万博セントルイス万博などに出品され、世界的にも高評価を受けた。しかし大正時代に入った頃から当地では養蚕が盛んになって柿の栽培が著しく衰退。しかも昭和時代になると太平洋戦争など戦争の時代に突入し、柿より米が重要視されて柿の木は伐採されて田畑に変えられてしまい、蜂屋柿は没落した。

戦後に村瀬俊雄という人物が現れ、彼は旧家の庭先に残っていたたった一本の堂上蜂屋柿の木から少しずつ柿の木を増やしていくことを開始。同時に残っていた古老らの話を聞いて試行錯誤や研究を重ねて、遂に蜂屋柿を復活させた。現在、蜂屋柿は美濃加茂市の特産となっている。

外部リンク[編集]