囲米

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囲米(かこいまい)とは、江戸時代江戸幕府や諸により支配された町村に対して、飢饉災害が起きた際に備えて備蓄したのことである。寛政の改革を行なった松平定信の時代に発令された囲米は有名だが、実際にはこれ以前から行われていた制度である。

概要[編集]

置米(おきまい)、詰米(つめまい)、囲籾(かこいもみ)ともいう。これらの米は、米価の調整、あるいは軍事目的などで江戸時代から蓄えられていた。ただ、米の場合だと腐敗する恐れもあるため、一部はで蓄えられていた。囲籾と言われるのはそのためである。

これらの制度は江戸時代初期から既に始められており、当初は万一に備えての軍事目的の色彩が濃かった。しかし、江戸時代が安定すると軍事目的より災害や飢饉による救済目的のほうが強くなった。
松平定信が白河藩政での実績を取り入れ、寛政の改革で囲米を命じているが、これによりそれまでは制度化されていなかった囲米が制度化つまり義務化され、さらに領内の有力者に対して米を拠出するように命じることができるようになった。
寛政の改革以降、江戸大坂京都三都では囲米が義務化され、江戸では七分積金による町会所運営も行なわれている。

天保14年(1843年)の記録では、幕府の囲米は約55万石、諸藩の囲米は約88万石に達していたという。

関連項目[編集]