周羣
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周 羣(しゅう ぐん、生没年不詳)は、中国の後漢末期の政治家。字は仲直(ちゅうちょく)[1]。父は周舒。子は周巨。
生涯[編集]
益州巴西郡閬中県(現在の四川省南充市閬中県)の出身[1]。図讖(予言)と呼ばれる自然現象などから未来の兆候を探る学問を父から教わっていた[1]。益州を支配する劉璋に招聘されて師友従事に任命される[1]。202年に越巂郡で男が女に変身する事件が起こり、周羣はこれを王朝が交替する予兆であると述べたという[1]。劉備の入蜀後は劉備の部下となり儒林校尉に任命される。曹操との漢中郡争奪戦では「土地を手に入れることはできるが、住民を手に入れることはできない」と答えて、その予言通り曹操は劉備に敗れて撤退する際に住民を連れ去ったという[1]。
『三国志演義』では劉備が益州を支配下に置いた際、劉璋配下で登用された武将の一人として名前が挙がるのみである[1]。