吉成元平
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吉成 元平(よしなり もとひら、生没年不詳)は、安土桃山時代の武将。長宗我部氏、次いで山内氏の家臣[1]。
略歴[編集]
父は細川真之の家臣・多田元次。元の名は多田 元平(ただ もとひら)といい、この際の仮名は与四郎だった。天正10年(1582年)に父は真之に殉死し、この際に元平は和泉国に逃亡するが、後に土佐国に来て長宗我部元親に仕えたという。天正14年(1586年)12月の戸次川の戦いの際、軍や兵糧の輸送を命じられ、船舶や船頭、水主の徴用に尽力した。そして、その代償として公事免除の恩典を与えられている。また、吉成と改姓し、この際に仮名も五郎右衛門と改めている[1]。
所領は安芸郡津呂に与えられたという。関ヶ原の戦いで長宗我部氏が改易され、新たに土佐に山内氏が入国する際に全面的に協力し、山内康豊の入国の際には甲浦から浦戸まで案内役を務めた[1]。