吉原 西雲(よしはら せいうん、? - 天正8年(1580年)8月)は、戦国時代の武将。丹後国の土豪で一色氏の家臣。
兵庫入道、左馬入道などの通称が伝わっているため、西雲も恐らく入道した後の法号と思われる。
丹後の土豪で、天正7年(1579年)の織田信長による丹後侵攻に従わずに一色義道らと共に反抗した。このため、細川藤孝に峰山城を攻撃されている。
天正8年(1580年)8月、藤孝が信長より丹後国主として入封を命じられた際、西雲は従おうとしなかったため、一族と共に誅殺された。