南条広継

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南条 広継(なんじょう ひろつぐ、享禄2年(1529年) - 永禄5年(1562年)は、戦国時代武将蠣崎氏家臣。

生涯[編集]

正室は、蠣崎季広の長女である。妻は南条広継の家督相続を考え、季広の子である蠣崎舜広明石元広を毒殺した。この事件により、妻は自害させられ、疑いの目は広継にも向けられることになる。季広の厳しい尋問を受けるが、当たり前だが広継は全く関与しておらず、否定し続けた。しかし、永禄5年(1562年)に季広から自害を命じられる。

逆さ水松[編集]

広継は、礼服に身を固め生きたまま棺に入り、一本の水松を棺の上に逆さに生けさせ、「水松が根付いたら身に悪心ない証であり、三年たっても遺骸が腐っていなかったら、それこそ潔白のあかしである」と言い残し、節を抜いた青竹で呼吸しながら鉦を鳴らし経文を読誦した。この鉦の音と読経の声は3週間も続いていたと言われる。そして3年が経ち、イチイの木が成長し、逆さ水松になったという。これを見た人たちは広継が無実だと信じたという。