劉胤 (三国)

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劉 胤(りゅう いん、? - 256年)は、蜀漢皇族劉備(昭烈帝)のにあたる。生年不詳。劉理馬超の娘との間に生まれた子。

略歴[編集]

延熙7年(244年)、父の劉理の他界に伴い、世襲の形で安平王の位を引き継ぐ。

※いつの時点で、誰を娶ったかも不明だが、嫡男劉承 (蜀漢)が生まれている。

延熙19年(256年)、若くして他界。は哀王[1]

劉胤の死後、安平王は息子の劉承が引き継いだが、すぐ翌年に劉承も他界(諡は殤王)している。父を含む三世にわたる早逝を悼み、蜀漢皇帝劉禅は劉胤の弟である劉輯に王位を継がせた[2]炎興元年(263年)、劉禅の降伏により蜀漢は滅亡、これにより劉輯は劉禅や劉永と共に洛陽へ強制移住させられた。

脚注[編集]

  1. 胡三元(編)『白話三國志-經典古籍白話註解譯文系列-』谷月社、2015年8月13日、393頁。「延熙七年(244年)劉理去世、(中略)。其子哀王劉胤承嗣王位、延熙七年(256年)去世。」
  2. 陳寿『三國志-裴松之註-』朔雪寒、 2014年8月31日、702-703頁。