劉肥
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劉 肥(りゅう ひ、? - 紀元前189年)は、前漢の皇族。前漢時代の諸侯王である斉王。諡号は悼恵王。
生涯[編集]
劉邦(高祖)の庶長子。生母は曹氏。第2代皇帝の恵帝(劉盈)は異母弟に当たる。
劉邦の1番上の息子であったが、母親が正妻では無かったため、後継者にはなれなかった。紀元前195年に劉邦が崩御し、恵帝が即位すると、劉肥はその兄に当たることから恵帝の母親である呂太后から警戒されていた。
紀元前193年、恵帝が即位して2年後に劉肥は長安に入朝したが、この際に心優しい恵帝は本来ならば臣下の礼を取らねばならない兄に対して家族の礼式に則って劉肥を上座につかせた上で宴会を開催した。これを見た呂太后は激怒し、自らが入れた毒酒入りの盃を劉肥に差し出した。劉肥はそれを何の警戒もせずに飲もうとしたが、恵帝は呂太后の思惑を察して咄嗟に盃に手を伸ばし、自らがそれを飲もうとした。慌てた呂太后が恵帝の袂をつかんで引いたため、盃は恵帝の手から落ちて酒は床にこぼれたが、これを見て劉肥はようやく全ての事情を察した。そして、自らが呂太后に警戒されないようにするため家臣の意見を聞き入れて、呂太后の娘である魯元公主の化粧料として、自らの所領である城陽郡を献上することで警戒を解かれて帰国を許されたという。
紀元前189年に死去し、王位は長子の劉襄が継承した。
劉肥を題材とした作品[編集]
宗室[編集]
后妃[編集]
- 王后駟氏