劉 敏(りゅう びん、生没年不詳)は、中国の三国時代の蜀の武将。蒋琬の外弟にあたる。
荊州零陵郡泉陵県の出身[1]。諸葛亮の北伐に従軍し、231年の李厳失脚の際に弾劾状に名を連ねた[1]。右護軍・偏将軍となり、後に左護軍、揚威将軍に昇進して王平と共に漢中郡を守備する[1]。244年の興勢の役では王平と共に興勢山に立て篭もって100余里にわたって旗や幟を押し立てて費禕と協力して魏軍を撃退した[1]。この功績で雲亭侯に封じられる[1]。
『三国志演義』では第91回の諸葛亮の第1次北伐で従軍するところだけに登場する[1]。