劉 度(りゅう ど、りゅう たく、生没年不詳)は、中国の後漢末期の政治家・武将。荊州零陵郡の太守[1]。
劉備が荊州南部に侵攻してきた際に降伏した[1]。これ以外の記録は無い。
『三国志演義』では息子の劉賢や部下の邢道栄の抗戦の意見により、消極的な立場から抗戦する。しかし敗れて帰順し、諸葛亮の計らいで現職に留まった。