凌 操(りょう そう、? - 203年)は、中国の後漢末期の武将。子に凌統[1]。
呉郡余杭県の出身[1]。剛毅果断で孫策の挙兵で配下に加わり、先陣で功を立てる[1]。永平県長に任命され、山越族平定で活躍して破賊校尉に昇進する[1]。
203年、孫権の黄祖討伐に従軍し先鋒を務めたが、当時黄祖の部下だった甘寧に射殺された[1]。凌統伝では流れ矢で戦死とある。
『三国志演義』では第15回で厳白虎が敗北した際に住民を率いて孫策に帰順し、最後は甘寧に殺されている。