冲帝
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沖帝 ちゅうてい | |||||||||||||||||||||||||||||||
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生涯[編集]
第8代皇帝・順帝の子で、父が生まれた翌年に崩御したため、皇太子であった劉炳が数え年わずか2歳で即位して第9代皇帝となった。年齢的に親政するのは不可能であり、父帝の時代から台頭していた外戚の大将軍・梁冀によって専横が続けられた。父帝の時代から国内では政治腐敗と反乱が相次いでいたが、この沖帝の時代も引き続き、それが続いている。
即位の翌年である145年にわずか3歳で崩御した。当然、継嗣は無く、皇族の渤海王である劉鴻の子・劉纘が質帝として梁冀に擁立された。
3歳で急死したことから、梁冀による毒殺説も存在する。これは次の質帝が毒殺されたことによるものと、梁冀のやり方からの推定であるが、当時の沖帝はまだ3歳で梁冀が専権を振るうには非常に都合がよく、この時点で暗殺する利点が無いのであくまで憶測でしかない。なお、沖帝はわずか3歳で崩御しているが、これは後漢でまだ2番目の短命皇帝である[注 1]。