会津キリシタン塚

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会津キリシタン塚(あいづキリシタンづか)とは、福島県会津若松市神指町黒川に存在するキリシタンの墓である。

概要[編集]

現在の会津柳橋の近く、薬師堂河原の東に存在する。

会津地方は豊臣秀吉奥州仕置により、家臣の蒲生氏郷がその地の太守として封じられた際に氏郷がレオンという洗礼名を持つキリシタンであったことから、会津に広まった。しかし、氏郷や秀吉の没後に成立した江戸幕府による禁教令により、キリシタンは厳しく弾圧されて改宗することを余儀なくされ、従わない信者に対しては踏絵を行なわせてに処すことが多かった。

寛永12年(1635年)、会津若松藩主として当地を支配していた加藤明成は稀に見る暴君で、キリシタンの中心人物らをことごとく逮捕処刑、さらに潜伏していた外国人宣教師や信徒まで逮捕処刑するなど、厳しい弾圧を行なった。この塚は、その際に処刑されたキリシタンを弔って作られた塚である。

アクセス[編集]