伊与田 淡路守(いよだ あわじのかみ、? - 天正2年(1574年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。土佐一条氏の家臣。
土佐国幡多郡伊与田城主。土佐国司である一条兼定に仕え、天正2年(1574年)に兼定が長宗我部元親によって豊後の大友宗麟の下に追放された際、あくまで兼定への忠誠を貫いて元親に降伏しなかった。このため、元親に降伏した元一条家の家臣・小島政章によって攻められて戦死した[1]。