令狐 邵(れいこ しょう、生没年不詳)は、中国の後漢末期から三国時代にかけての魏の武将。字は孔叔(こうしゅく)[1]。甥に令狐愚。
并州太原郡の出身[1]。最初は曹操に仕えて地方官を歴任するが、どこにおいても「氷雪のごとく清潔」と評価されるような清廉な政治を行なって治績を挙げたため、文帝の時代に中央に召喚され、羽林郎に任命される[1]。後に虎賁中郎将に昇進するが、その3年後に病死した[1]。