上村 六郎左衛門(うえむら ろくろうざえもん、? ‐ 天正11年4月24日(1583年6月14日))は、戦国時代の武将。柴田氏の家臣。
『太閤記』によると、尾張国出身で、生まれは卑賎だったという。しかし柴田勝家と同郷であったことからその誼で召し出されて家臣となり、2000石の知行を与えられて数々の戦功を立てたという。
『太閤記』によると、天正11年(1583年)4月に柴田勝家が賤ヶ岳の戦いに敗れてお市と共に自害する際、勝家の姉・末森殿母子を連れて北之庄城を脱出することを命じられたが、落城を見て母子を斬り殺し、自らも自害して勝家に殉じた。