上有知町

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

上有知町(こうずちょう)は、1889年明治22年)から1910年(明治43年)まであった岐阜県武儀郡自治体

概要[編集]

江戸時代から1889年(明治22年)までは上有知村と名乗っていた。江戸時代は武儀郡で尾張藩領で有った[1]。現在の美濃市中心部に相当する。

歴史[編集]

1600年慶長5年)9月の関ヶ原の合戦の結果、西軍だった上有知城主の佐藤氏は滅亡し、東軍配下の金森長近に所領として分け与えられた[2]

脚注[編集]

  1. 竹内 1980, p. 325.
  2. 美濃市 1979, p. 259.

出典・引用等[編集]

  • 『角川日本地名大辞典』21、竹内理三、角川書店〈岐阜県〉、1980年9月20日、1st。
  • 佐藤養助 鵜飼修司 後藤恭平 長瀬仁 吉田英敏 内木茂 市原三三 『美濃市史』上巻、市原三三 佐藤養助 内木茂、美濃市〈通史編〉、1979年2月20日、1st。