三木記
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三木記(みきき)とは、戦国時代の三木城の戦いに関する史料である。
概要[編集]
著者・成立年代[編集]
幸若庄太夫長明の「幸若系図之事」によると、豊臣秀吉の命令によって作られたものといわれている。巻末に大村由己の『天正記』の1冊である『播州御征伐之事』と同じ「秀吉の十徳」を挙げていることや、多くの表現の共通性から、『天正記』を参考にしたものと思われる。成立年代は奥書に「慶長七暦三月日幸若小八郎大夫」とあることから、慶長7年(1602年)以前から秀吉の関白在職中の天正13年(1585年)から天正19年(1591年)当たりと見られる。
また、大村由己が著書に関与していた可能性から、文禄4年(1595年)1月以前の成立が考えられている。著者については大村由己であると見られるが、確証はない。
別称は『三木』(みき)、あるいは『三木本能寺』(みきほんのうじ)。
内容[編集]
天正8年(1580年)の羽柴秀吉による三木城の兵糧攻めを題材とする幸若舞曲である。ただ、三木城の戦いについてだけ書いているのではなく、当初は織田信長について述べている。別称の『三木本能寺』とはこのことからのものかもしれない。
信長の紹介の後、秀吉が信長の命令で織田軍を率いて西国の平定に向かう。そこから三木城の兵糧攻めについてが始まることになる。