三宅米吉
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三宅 米吉(みやけ よねきち、1860年7月1日(万延元年5月13日) - 1929年(昭和4年)11月11日)は明治時代から昭和初期にかけての日本の歴史学者、教育者。号は昭軒。
生涯[編集]
紀伊国和歌山藩藩士・三宅栄充の長男で、慶応義塾を卒業後、国史・物理化学・数学など広汎にわたって研究を進め、明治17年(1884年)に『かなのしるべ』を、明治18年(1885年)に『かなのざつし』を刊行し、国学や国語の改良に尽力した。
東京人類学会幹事、金港堂副社長、東京高等師範学校教授を歴任。明治34年(1901年)に文学博士となる。大正9年(1920年)に東京高等師範学校長、さらに帝室博物館長、帝国学士院会員、東京文理科大学長を歴任した。
昭和4年(1929年)11月10日午前9時30分に狭心症を突如発病し、11時20分に死去したという。70歳没。11月14日に東京文理科大学、東京高等師範学校葬として弔われた。
著作[編集]
- 『考古学研究』 岡書院、1929年10月
- 『文学博士 三宅米吉著述集』 文学博士三宅米吉著述集刊行会編纂、文学博士三宅米吉著述集刊行会、1929年10月上巻・下巻
- 『三宅米吉集』 木代修一編、築地書館〈日本考古学選集〉、1974年3月
- 『三宅米吉教育論集』 森田俊男編、明治図書出版〈世界教育学選集〉、1974年5月
- 著書
- 『簡易器械 理化学実験法 巻一』 後藤牧太同著、普及舎、1885年10月、テンプレート:NIEROPAC
- 『日本史学提要 第一編』 普及舎、1886年4月
- 『小学作文書』 金港堂、1886年8月第一-第四
- 『習字教授案』 金港堂、1887年6月
- 『理科初歩』 新保磐次合著、金港堂、1887年9月有用ノ礦物 / 1887年10月有用ノ植物・化学ニ係ル事柄 / 1887年11月総論
- 『小学歴史編纂法』 金港堂〈金港堂叢書〉、1887年11月
- 『高等 日本読本』 新保磐次同著、金港堂、1888年
- 『益軒ノ教育法』 金港堂、1890年3月
- 『小学校用作文書』 金港堂編輯所編輯、金港堂、1890年5月
- 『嘉永以前 日欧交通年表略』 東京帝室博物館編輯、東京帝室博物館、1896年8月
- 『聖堂略志』 孔子祭典会、1908年4月
- 『御即位ト大嘗祭』 石黒魯平編輯、石黒魯平、1916年4月
- 『高嶺秀夫先生伝』 高嶺秀夫先生記念事業会著、培風館、1921年12月 / 国書刊行会〈明治教育古典叢書〉、1980年11月 / 大空社〈伝記叢書〉、1987年9月
- 『院政時代の供養目録』 津田敬武共著、東京帝室博物館〈帝室博物館学報〉、1924年12月
- 『極楽願往生歌』 津田敬武共著、勉誠社〈勉誠社文庫〉、1976年10月
- 編書
外部リンク[編集]
- 筑波大学附属図書館 文庫・コレクションリスト - 三宅文庫の目録が閲覧できる。
- 群馬大学図書館蔵明治期教科書 - 『簡易器械 理化学試験法』が閲覧できる。