ワイズガイ

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ワイズガイ――マフィア・ファミリーの生活』(原題:Wiseguy: Life in a Mafia Family)は、1985年サイモン&シュスターから刊行されたニコラス・ピレッジによるノンフィクション作品。マフィアの準構成員から情報提供者に転身したヘンリー・ヒル(1943~2012)の半生を描く。1990年に公開されたマーティン・スコセッシ監督の映画『グッドフェローズ』の原作となった。

出版の経緯[編集]

マフィアの準構成員だったヘンリー・ヒルは、1980年に麻薬売買の共同謀議の容疑で逮捕・起訴されたが、司法取引を行い、政府の証人保護プログラムの下に入ることを選んだ[1]。当時のヒルは世間でほぼ無名の人物だった[2]。1981年にヒルの弁護士がサイモン&シュスター社に本の出版を持ちかけ[3]、同社は出版ブローカーのステアリング・ロードの仲介を通じてヒルにギャング組織の内幕物の出版を依頼した。同年8月にヒルと記者のニコラス・ピレッジは、ヒルが提供した情報を基にしてピレッジが犯罪実話書を執筆することに合意した。同年9月にヒルとピレッジ、およびロードは、サイモン&シュスター社と出版の契約を締結した[1]

ピレッジは約2年間ほぼ毎日ヒルと電話で話し、ときにはニューヨークの検察庁、中西部の各都市のホテルやレストラン、公園などで意見を交わし[3]、300時間に及ぶインタビューを基にして本書を執筆した[2]。1986年1月にサイモン&シュスター社から本書が出版されるとベストセラーとなり、初版は約9万部を売り上げた。1987年2月には100万部以上のペーパーバックが出版された[1]

内容[編集]

"Wiseguy"(ワイズガイ)、"Goodfella"(グッドフェラ)とは、マフィアの正式な構成員(メイドマン)が互いを呼び合う際に使う言葉である。マフィアの準構成員(アソシエイト)の間でも使われる。本書を原作とするマーティン・スコセッシ監督の映画のタイトルが『グッドフェローズ』(1990年)になったのは、既に本書がブライアン・デ・パルマ監督のコメディ映画『Wise Guys』(1986年)やテレビシリーズ『Wiseguy』(1987~1990年)などで使われていたためである[4]

本書はルッケーゼ・ファミリーのアソシエイトだったヘンリー・ヒルの半生を22章に分けて書いている。ヒルは母がシチリア系だったが、父がアイルランド系だったためメイドマンにはなれなかった。ヒルは子供の頃から大統領よりもギャングに憧れていたといい、12歳でルッケーゼ・ファミリーの幹部ポール・ヴァリオの使い走りになった。強奪、賭博、暴利金融、組合介入、麻薬密売、八百長など様々な犯罪行為に手を染めた。しかし、1978年のルフトハンザ航空現金強奪事件の後に親友のジミー・バークが次々と関係者を殺害していったこと、1980年に自身が麻薬犯罪で逮捕、終身刑を宣告され、麻薬を禁止していたヴァリオから破門されたことで命の危険を感じ、1980年に政府の証人保護プログラムの下に入り、かつての仲間を裏切って証言を行うことを選んだ。

本書はヘンリー・ヒルと妻のカレン・ヒルが自身の人生を回想して語った発言も多く掲載している。特筆すべき点は、ヒルは自身の行いを反省していないが、それを正当化しているわけでもないことである。このように本書はギャングの日常生活と国家機関の腐敗の様をありのままに、そして正面から観察している。ピレッジは、本書のアイデアは『ゴッドファーザー』に登場するようなマフィアの正式な構成員ではない、ストリートレベルの「大物ではない組織犯罪者」の人生を解剖することだと語っている[3]。また本書のメッセージは「このような不気味な連中が、どのように活動し、なぜこれほどの権力と、あるところでは尊敬を得られているのかを説明する」ことだと語っている[3]

サムの息子法[編集]

1977年8月にニューヨーク州議会は、犯罪者が自己の犯罪に関する言論で収益を得ることを阻止するため、サムの息子法を制定した。1987年6月にニューヨーク州犯罪被害者委員会は『ワイズガイ』にサムの息子法を適用し、ヒルは既に支払われた金額(96,250ドル)を、ヒルの仲介代理人は報酬として受け取った金額(ヒルの取り分の10%)を同委員会に引き渡すべきこと、サイモン&シュスター社は今後ヒルに支払う印税等を同委員会に引き渡すべきこと、またヒルが既に支払われた金額を引き渡さなかった場合にはその分も同出版社が引き渡すべきことを命じた。これに対し、サイモン&シュスター社はサムの息子法が言論の自由を保障する合衆国憲法修正第1条に違反するとして、この決定の無効確認と執行停止および救済を求めて連邦地方裁判所に提訴した。連邦地方裁判所と連邦控訴裁判所が合憲と判断したため、サイモン&シュスター社は連邦最高裁判所に上告した。1991年12月に連邦最高裁判所は全員一致で、サムの息子法は合衆国憲法修正第1条に違反すると判断し、連邦控訴裁判所の判決を破棄した。ニューヨーク州議会は連邦最高裁判所の違憲判決を踏まえ、1992年7月にサムの息子法を改正し、犯罪及び犯人の定義を狭くする一方、犯罪の収益の定義を広くした[1]

日本語訳[編集]

出典[編集]

  1. a b c d 長谷川貞之「財産上の負担を伴う表現行為の規制と「やむに已まれぬ利益」―ニュ―ヨ―ク州サムの息子法をめぐる違憲判決を中心に―」『日本法學』第82巻第3号、2016年12月
  2. a b 岩本一郎「酒鬼薔薇事件、元少年Aの出版 サムの息子法の過去と現在を考える」Wedge、2015年7月16日
  3. a b c d Patrick, Vincent (1996年1月26日). “Not So Organized Crime”. New York Times. https://www.nytimes.com/1986/01/26/books/not-so-organized-crime.html 2019年3月2日閲覧。 
  4. デイヴィッド・トンプソン、イアン・クリスティ編、宮本高晴訳『スコセッシ・オン・スコセッシ――私はキャメラの横で死ぬだろう』フィルムアート社、1992年、226-227頁

関連項目[編集]

外部リンク[編集]