ルール占領
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ルール占領(るーるせんりょう)とは、第1次世界大戦後のドイツのベルサイユ条約の不履行を理由にフランスとベルギーがとった占領政策。
概要[編集]
ドイツがベルサイユ条約で決められた賠償金が支払えないことを理由に、戦勝国であるフランスとベルギーが1923年1月12日にドイツのルール地方を武力的によって占領した。戦争、特に帝国主義における戦争では、戦勝国が敗戦国から賠償金を得ることや領土の割譲を受けることで、戦費の精算と利権の拡大による富国が常識であった。
しかし、世界を巻き込んだ大戦になると戦費も従来の戦争と比較にならぬほど巨額となり、利権の拡大も戦勝国各々の思惑があって思うようにならなくなった。このため、フランスとベルギーが行った行為がルール占領である。両国は巨額の賠償金の支払いを渋るドイツに対する「生産的担保」を名目に占領した。
ところが、ルールを占領することでドイツ経済の破綻に拍車がかかり、ドイツは極度なインフレに見舞われて大混乱となる。また、ストライキなどでルール地方の労働者は抵抗したので、結果としてフランスとベルギーが期待したほどの結果は生まなかった。そればかりか、同じ戦勝国であったイギリスやアメリカから批判され、ドイツ国民の反感を買い、第2次世界大戦の契機の一つになるという皮肉な結果に終わった。