リー・アイアコッカ
リー・アイアコッカ(Lee Iacocca/Lido Anthony Iacocca、1924年10月15日 - 2019年7月2日)は、経営者。元フォード・モーターの元社長。クライスラーの元会長。リー・アイアコッカ」は通称で、本名は「リド・アンソニー・アイアコッカ」。「日本たたき」の急先鋒としても知られる[1]。
概要[編集]
アメリカ東部・ペンシルベニア州アレンタウンに、父ニコラ・アイアコッカ、母アントニエッタ・ペロッタの間で、1924年10月15日に生まれた。両親はイタリア移民であったが、鉄鋼ベルト地帯に落ち着く。家族はヤッコ・ホットドッグのレストランを経営していた。
1942年、ウィリアム・アレン・ハイスクールを卒業し、リーハイ大学で機械工学と管理工学を学んで卒業した。ワランス記念奨学金を得て、プリンストン大学に進み、選挙政治とプラスティックを学ぶ[2]。
1946年8月、フォード自動車にエンジニアとして入社するが、営業に向いていることが明らかになった。
「マスタング」の開発責任者となる。1970年1月にフォード・モーターの社長に就任した。向こう見ずで異端の振る舞いから、ヘンリー・フォード・ジュニアによって1978年に解任された。
経営破綻寸前のクライスラーに1978年11月、J・リカルド会長に請われクライスラー社長に就任した。アイアコッカは議会工作を行い、1980年に債務保証法により連邦政府から15億ドルの資金調達を行う。20年かかっていたタービンエンジンの開発を止め、レイオフと賃金カットなどのコスト削減を行った。また大型車開発から小型車開発にシフトし、積極的に広告を展開した。1979年9月にクライスラーの会長に就任した。1981年に発売された小型車はヒットし、クライスラーは経営が立ち直った。破産寸前のクライスラーを立て直し、数十万人のアメリカ人の雇用を守ったことで「アメリカ産業界の英雄」と言われた。1993年に引退し、1994年に自動車殿堂入りする。
2019年7月2日、パーキンソン病に伴う合併症のため、アメリカ・ロサンゼルスの自宅で死去[3]。94歳。
著書[編集]
- Lee Iacocca (1989)"TALKING STRAIGHT"Bantam; Reissue、ISBN-10: 0553278053
- リー・アイアコッカ、徳岡 孝夫訳(1988)『トーキング・ストレート―アイアコッカPart2』ダイヤモンド社、ISBN-10: 4478320268
- Lee Iacocca (2008)"Where Have All the Leaders Gone?"Scribner; Reprin、ISBN-10: 1416532498
- リー・アイアコッカ、鈴木主税訳(2007)『なぜ真のリーダーがいないのか―伝説の経営者が語るトップの条件』ダイヤモンド社、ISBN-10: 4478001219
- Lee Iacocca、 William Novak (1986)"Iacocca: An Autobiography"Bantam; Reissue、ISBN-10: 0553251473
- リー・アイアコッカ、 徳岡孝夫訳(1985)『アイアコッカ―わが闘魂の経営』ダイヤモンド社、ISBN-10: 447832011X
注[編集]
- ↑ 米経営者アイアコッカ氏死去朝日新聞、2019年7月3日
- ↑ Wikipedia日本語版に「プリンストン大学大学院で修士号を取得」と記載があるのは、誤りである。
- ↑ リー・アイアコッカ氏死去CNN、2019年7月3日