リュドミラ・アレクセーエワ
ナビゲーションに移動
検索に移動
リュドミラ・アレクセーエワ(Lyudmila Alexeyeva、1927年7月 - 2018年12月8日)は、ロシアの人権活動家。
略歴[編集]
1952年にソ連共産党に入党するが、やがて反体制活動に傾斜してソ連時代の1960年代より危険な人権活動家として当局の弾圧を受けるも屈せず、人権擁護活動に従事した。反体制知識人としてノーベル平和賞候補に何度も名前が挙がったこともある。このため、1968年にはソ連共産党から除名処分を受けた。
人権侵害を告発する地下出版物の作成に加わり、1976年にソ連の人権状況を監視するモスクワ・ヘルシンキ・グループの創設に参加する。だがこのため、1977年には当局の弾圧を受けることになりソ連からの出国を余儀なくされた。その後はアメリカ合衆国においてソ連の人権侵害告発を続ける。ソ連崩壊後の1993年にロシアに帰国し、1996年にモスクワ・ヘルシンキ・グループ代表に就任する。2009年には欧州議会が活動への貢献をたたえて授与するサハロフ賞を受賞する。最晩年にはウラジーミル・プーチン政権下での人権擁護活動の制約に警鐘を鳴らした。
高齢のためモスクワ市内の病院に入院していたが、2018年12月8日に同所において死去した。91歳没。