ラジャ・ライオン

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ラジャ・ライオンは、パキスタン空手家ジャイアント馬場異種格闘技戦を行った。

概要[編集]

バンド―カラテの選手で、馬場に対して「巨人世界一決定戦」を行いたいと申し出たが、実際の試合ぶりはというと自分でキックを出してはスッ転んでいたので、とんだ一杯食わせ者だった。試合に負けた後は、リングサイドにいたインド出身のタイガー・ジェット・シンとやりあっており、当時の国際問題を反映していた。

その後、全日本プロレス入りしたのだが、いつの間にいなくなった[1]。当時の話によると本国でアクション俳優になったそうである。

余談[編集]

消しゴム版画作家でコラムニストナンシー関は、当時参加していた『ホットドッグ・プレス』のPack'nPressにおいて「ラジャ&ドロシーのちょっとおねだり」という投稿コーナーを担当していた。

脚注[編集]

  1. 世田谷近辺を歩いていた。カレー専門店で働いていた。などのうわさが出た。