ブダペスト

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ブダペストは、ハンガリーの首都で、最大の都市である。

概要[編集]

ハンガリーの首都。ドナウ川の両岸に広がる都市で、川の西のブダ、東のペシュトという2つの街を統合した都市である。なお、ドナウ川沿いの国の首都は、他にウィーンブラチスラヴァベオグラードがある。

地理[編集]

ドナウ川の両岸に広がる都市。

周辺の主要都市および距離
ロンドン(1450km)
ベルリン(690km)
ウィーン(220km)
ストックホルム(1320km)
ワルシャワ(550km)
カトヴィツェ(310km)
キーウ(900km)
リヴィウ(450km)
コシツェ(210km)
パリ(1250km)
ミュンヘン(560km)
グラーツ(280km)
ブダペスト ハルキウ(1290km)
キシナウ(740km)
クルジュ・ナポカ(350km)
ナポリ(830km)
フィレンツェ(730km)
ザグレブ(300km)
アテネ(1120km)
ティラナ(690km)
ベオグラード(320km)
イスタンブル(1070km)
ブカレスト(640km)
ティミショアラ(250km)


気候[編集]

西岸海洋性気候(Cfb)に属する。夏・冬とも、気温は青森と近い。

歴史[編集]

5世紀以前、ドナウ川から西が西ローマ帝国領であった。ドナウ川の東は、5世紀にフン族の支配を受けた。ゲルマン民族の大移動があり、6世紀は西をランゴバルド族が、東をゲピド族が支配した。

その後は東方から進出した騎馬民族の支配を受け、7,8世紀にアヴァール族、9世紀にブルガール族が支配者となった。その後到来したマジャル族がハンガリー盆地に定住し、10世紀から現代に至るまでハンガリー最大の民族集団となっている。ハンガリーの王宮はいくつかの都市を度々移転したが、ドナウ川西岸のブダもそのうちの一つであった。ブダからドナウ川対岸にあるペシュトも、対岸の街として発展していった。

近世になると、ハンガリーの王はオーストリアハプスブルク家が世襲する様になり、オーストリアに組み込まれる様な形となった。この頃、南からオスマン帝国が進出し、16世紀から17世紀にかけてトルコの支配を受けた。その後再びハプスブルク朝のハンガリー王国となる。ブダペスト周辺がトルコ領となっていた間にハンガリーの首都はポジョニ(ブラチスラヴァ)に移っていたが、18世紀末よりブダに移された。

1873年に、ブダ、ペシュト、オーブダの3都市が合併、以降ブダペストと呼ばれる様になる。第一次世界大戦後、オーストリアとハンガリーが別の国となり、ブダペストが新ハンガリーの首都となった。

都市の構成[編集]

ドナウ川を境に、西がブダ、東がペシュト。ペシュト側が市街地の中心。ブダ城はブダに、国会議事堂はペシュトの北部にある。

交通[編集]

空港[編集]

都心から南東へ17kmの所に、ブダペスト空港がある。リスト・フェレンツ空港の愛称名があるが、リスト・フェレンツの出身地はブダペストから190km西方であり、ウィーン空港の方が近い。

鉄道[編集]

鉄道駅は以下の3駅が主要ターミナル。駅名に方角がついているが、駅名と列車の進む方向はあまり一致しない。

  • ブダペスト東駅
    ペシュト東部、中心部から約2km。東方向に加え、南方向や西方向へ向かう列車も多い。
  • ブダペスト西駅
    ペシュト北部、中心部から約2km。西方向に加え、南方向や南東方向へ向かう列車も多い。世界一美しいマクドナルドが駅舎にあることで有名。
  • ブダペスト南駅
    ブダの中心部付近。南方向への列車が発車するが、規模が小さく、東・西駅と比べて発車する便が少ない。

市内は地下鉄が4路線ある他、郊外列車や路面電車も充実している。

関連項目[編集]

脚注[編集]