ブラチスラヴァ

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ブラチスラヴァは、スロバキアの首都で、最大の都市である。

概要[編集]

スロバキアの首都。ドナウ川沿いの都市で、ウィーンブダペストの間に位置している。15世紀から18世紀にかけてハンガリー王国の首都ともなっていた。別名、ポジョニ(ハンガリー語)、プレスブルク(ドイツ語)。

市境の一部はオーストリアとの国境となっていて、市の中心から国境まで4kmしか離れていない。オーストリアの首都、ウィーンへもわずか55kmの距離である。二首都間の距離としては、世界でも近い部類に入り、ローマとバチカン、キンシャサとブラザヴィルに次ぐ近さである。

地理[編集]

ドナウ川の両岸に広がる都市。川の北岸が中心市街地。

周辺の主要都市および距離
プラハ(290km)
イフラヴァ(180km)
シュトッケラウ(70km)
ヴロツワフ(330km)
ブルノ(120km)
ホドニーン(80km)
カトヴィツェ(270km)
ジリナ(170km)
ピエシチャニ(75km)
リンツ(210km)
ザンクトペルテン(110km)
ウィーン(55km)
ブラチスラヴァ コシツェ(310km)
エステルゴム(130km)
ニトラ(75km)
リュブリャナ(310km)
グラーツ(170km)
ショプロン(65km)
ザグレブ(270km)
ソンバトヘイ(110km)
チョルナ(60km)
ノヴィサド(380km)
ブダペスト(160km)
ジェール(65km)


気候[編集]

西岸海洋性気候(Cfb)に属する。夏・冬とも、気温は青森と近い。

歴史[編集]

7世紀から8世紀にかけて、東方から来たアヴァール族の支配下に入る。9世紀にはモラヴィア王国領となった。11世紀より、ハンガリー王国の支配下に入り、近代に至るまでハンガリーの一都市とされてきた。

16世紀に、ハプスブルク家がハンガリー王の地位を手に入れた。その後、ハンガリーの大部分がオスマン帝国に支配され、神聖ローマ帝国との国境に近いポジョニ(ブラチスラヴァ)に首都が移された。その後200年以上にわたってハンガリー王国の首都となった(ただし、ハンガリー王はオーストリア皇帝が兼任していたため、事実上の首都はウィーン)。18世紀後半、ヨーゼフ2世の時代に、ブダペストに遷都される。

第一次世界大戦後、チェコスロバキア領となり、ハンガリーの一都市としての時代に終わりをつげる。その後、1993年のビロード離婚により、新たに建国されたスロバキアの首都となった。

都市の構成[編集]

ドナウ川の北岸に沿って旧市街がある。旧市街の西に隣接する丘の上に、テーブル状のブラチスラヴァ城がある。市街地は、ドナウ川の南にも広がっている。

交通[編集]

空港[編集]

都心から東北へ7kmの所に、ブラチスラヴァ空港がある。西へ41kmの所にはウィーン空港もあり、国際長距離路線も含めて多数の航空便の利用が可能である。

鉄道[編集]

市の北部にあるブラチスラヴァ本駅が中心駅で、都心部からは路面電車でアクセスできる。プラハ、コシツェ、ブダペストなど各方面に国際列車・長距離列車が運行している他、ウィーンへは快速列車が多数運行している。

市内は路面電車が全5系統運行している。

関連項目[編集]

脚注[編集]