ビデオ戦争
ビデオ戦争(ビデオせんそう)とは、ビデオテープレコーダや光ディスクに関する規格争いである。VTR創世期以降、さまざまな規格争いが展開されている。
LD対VHD[編集]
ビデオディスクに関しても規格争いが発生した。
当初LDはパイオニア1社だけの販売に対して、VHD賛同社はアイワ・赤井電機(現・AKAI professional)・オーディオテクニカ、クラリオン・山水電気・三洋電機・シャープ・ゼネラル(現・富士通ゼネラル)・東京芝浦電気(現・東芝)・トリオ(現・JVCケンウッド)・日本楽器製造(現・ヤマハ)・日本電気ホームエレクトロニクス・日本ビクター(現・JVCケンウッド)・松下電器産業(現・パナソニック)・三菱電機の15社にも及んだ。一方、ソニー・日立製作所・日本コロムビア・日本マランツ・ティアックなど両陣営とも参加を見送ったメーカーも存在したが、いずれも後にLD陣営に加わった。
最終的には日本ビクターを除くVHD陣営各社がLD陣営に鞍替えしたため、VHDが敗退しLDが残存する形となった。このような結果になった理由としては、下記のようなことが挙げられる。
- VHDの技術開発が予想以上に難航し大幅に時間が掛かったこと。米国市場でのソフト・ハード供給合弁企業は本格始動することなく空中分解した。
- 一般家庭での使用では問題視する必要は無いが、VHDはセンサ(針)でディスクを情報をピックアップする方式のためディスク磨耗が考えられたこと。連続再生を要求される業務的利用やカラオケシステムでは不具合の発生が稀にあった。さらにパソコンの外部記憶装置として使用した場合[1]においては、無視できない問題となった。
- VHDの水平解像度240本に対し、LDは水平解像度400本以上であり、画質面で大きな差があった。
- LD陣営からCDとのコンパチブル機が発売されたこと。これにより、音楽再生用としての需要をも取り込めた[2]。
- LD優勢を受け、いずれの陣営へも参加を見送っていたソニーがLD陣営についたこと。これで販売台数が飛躍した。
- 操作性や特殊再生といったVHDに対してのLDの欠点は、後述するディスクの反転の問題を除いて、その後の機器の改良により改善された。
LD対VHDはLDの勝利で幕を閉じたものの、その後LDは以下のような理由により、ヒット商品とはなりえなかった。
- LDプレーヤーやソフトの低価格化が進まなかったこと。ソフトのレンタルが末期の一時期を除き禁止されていたことや、ディスクに録画ができなかったことで、普及率や価格面で先発のVHSに大きく劣ることとなった。
- LDソフトの供給・販売体制に不備があったこと。1980年代後半の段階でアニメソフトを中心に供給体制不備をビデオ雑誌などで指摘されたほか、末期は初回生産のみで生産終了、リリース月で廃盤となるケースも続出していた。
- ディスクの劣化。当初はレーザーによる非接触方式のため半永久的な寿命と宣伝でも謳われていたが、吸湿によるアルミ劣化・錆びによるディスク劣化が発生しノイズに悩まされることが多々あった。現在でもディスク劣化は進行することがある。
- 直径が最大でLPレコードと同様の30cmだったため、取り扱いや管理がしにくかった。LPレコード同様に長期間の保管ではゆがみ・そりが生じることがあり、レコードプレイヤーでは多少のそりには対応できるが、LDプレーヤーではしばしば再生不可能になる場合があった。またプレーヤーの小型化も同様の理由から困難だった。パソコンの外部記憶装置としても、CD-ROMが普及したものの、LD-ROMはその筐体の大きさから普及せず、内蔵記憶装置としては全く採用されなかった[3]。
- 収録時間の短さ。LDは片面の収録時間が最大1時間しかなかったため、本編途中でディスクの反転や交換が必要なケースも珍しくなかった。特に映画ソフトのほとんどは1時間を越えているため、無視できない問題となった[4]。
そして、十分に一般家庭に普及しない状況において、後継となるDVD-Video規格が発表された。DVDはディスクの直径がCDと同一の12cmとLDと比べて小さく、非常に使いやすかった。またLDの反省を踏まえて、当初からレンタルを解禁するなど(これはコピーガードを採用したからでもある)、ソフトの供給体制も当初から整備された。さらにCD-ROMに代わるパソコンの外部・内蔵記憶装置としてもDVD-ROMが普及したほか、DVD-R等書き込み可能型の規格も登場した。これによりLDの市場は急速に衰退し、ソフト供給は2007年3月で停止され、LDプレーヤーもパイオニア以外は2000年までに製造中止、パイオニアも2009年1月14日に製造中止を発表した[5]。しかしながら、DVDに採用されたMPEG-2特有のノイズやコピーガードがLDには無いという画質上のメリットがある。また、音質面ではLDの方がDVDより優れているとする意見もある。コレクターズアイテムとしての観点からは、ジャケット写真が非常に大きいという魅力もあるため、根強いLDファンも存在する。
8ミリビデオ対VHS-C[編集]
8ミリビデオはソニーがベータ・VHSに代わる「小型で扱いやすい『家庭用ビデオシステムの本命』規格」として提唱し、長らくの調整の後に「業界統一規格」として多数の賛同会社を得たうえで発表・発売された。当初はベータマックスやVHSに代わる家庭用ビデオカセットとして普及が期待され、据置型機種も多く発売されたが、その小型なカセットサイズを活かしたカメラ一体型ビデオシステム(ハンディカムシリーズ)が注目を集め、他社も含めてハンディタイプのビデオカメラ用途として一大勢力を築く結果となり、ソニーの思惑とは違った形ながらも普及が進んだ。
一方VHSの規格主幹だった日本ビクターは、カメラ一体型ビデオシステム用途としてVHS規格に合致する小型カセットであるVHS-C規格を開発・発売、ビデオカメラ用途での規格対立戦争となった。
当初はVHSとの互換性を重視したVHS-Cが若干優勢であった。しかし1989年にソニーが「パスポートサイズ」のキャッチコピーを採用した小型機CCD-TR55 を発売すると、8ミリビデオ規格が優勢になり始める。1992年にシャープの「液晶ビューカム」がヒットし8ミリ規格の注目度が高まると、VHS-C陣営の中からも8ミリに転換する会社が続出した。
なお、アメリカにおいては、小型であることはさほどのメリットにならず、大型機の方が録画時間など性能に優れていること、レンタルビデオソフトの再生用途にも使えるということ、日本人にとっては重たいVHSビデオカメラが白人や黒人にはそれほど重くなかったことなどから、VHSのビデオカメラが主流であった。これには後にレンタルビデオソフトの再生機として安価な韓国製のVHSデッキが普及したことから、ビデオカメラ市場推移はVHSから8ミリへの世代交代という形でなされている。
規格争いに勝利した8ミリ規格も、90年代頃より徐々にDV方式へと世代交代していった。2000年代以降はそのDVも衰退し、DVDやハードディスク、メモリーカードなど、ビデオカメラの規格は多様化傾向にある。
規格としては世代交代した現在において、過去の映像資産の保存という観点では、8ミリだと当時使用したビデオカメラが稼動できる状態でなければ、違うビデオカメラを用意するか、あるいはあまり普及していない(中古も入手しにくい)据え置き8ミリデッキが必要になるという問題がある。一方VHS-Cは、カセットアダプターさえあれば、広く普及している据え置きVHSデッキで再生可能であり、映像資産を残すには有利である。ただし、40分など長時間テープはテープ自体非常に薄く作られているため、デッキにもよるが急激な巻き戻しを行うとテープがリールから外れることも多いため、注意が必要である。またVHSデッキも上述の通り、日本国内メーカーでは完全に製造が終了するなど、現在は衰退傾向にある。そのため近年では8ミリやVHS-Cで撮り貯めた映像を、DVDやブルーレイやハードディスクなどに焼き直し保存して、従来のカセットは廃棄する人も多い。
DVDの規格争い[編集]
東芝、タイム・ワーナー、松下電器、日立、パイオニア、トムソン、日本ビクターが推すSuper Density Disc(スーパー・デンシティ・ディスク・略称SD)方式と、CDの延長線上にある技術を利用したソニー、フィリップスなどが推すMultiMedia Compact Disc(MMCD)の二方式が対立していた。ハリウッドをも巻き込み全面対立の様相を呈していたが、両陣営の水面下での度重なる交渉の末、両方式の長所を併せ持った折衷方式としてDVDが誕生した。
統一規格として誕生したDVDではあるが、記録フォーマットに関するDVDに争いの場を移し、VHS対ベータに次ぐほどの規格対立が生じた。
DVDフォーラムが開発したDVD-R/RW/RAMと、DVD+RWアライアンスが開発したDVD+R/RWに大きく分かれ、さらにはDVD-RWとDVD-RAMに関しても対立が生じた。結果として、DVD-RAM陣営には松下電器産業を規格主幹として日本ビクター・日立製作所・東芝などが、一方のDVD-RW陣営にはパイオニアを規格主幹としてソニー・シャープ・三菱電機などが、それぞれ加わった。
特にDVDレコーダーでは各社の特徴がはっきり見られた。ソニーはライバルである松下電器が筆頭であるDVD-RAMを敵視しており、2006年前半までのスゴ録は録画はおろか再生も不可能だった。また、DVDアライアンス陣営にも参入しており、日本メーカーのDVDレコーダーでは唯一DVD+R/RWの録再が可能である。一方の松下電器はDVD+R/RWはもちろんDVD-RWも敵視しており、最初期のDIGAではDVD-RとRAMのみの対応だった。しかし2005年春からDVD-RWもビデオモードのみながら録画・再生が可能になり、2006年秋からはVRモードでの録画にも対応した。
一方でDVD+R/RWは日本国外市場ではそれなりに普及したが、日本国内では通常のDVD-R(ビデオ用)と比して割高でありCPRMに対応できていないこともあって、あまり普及しなかった。
2010年代現在では既にBlu-ray DiscやHD DVDと言った第3世代光ディスク(当時の「次世代DVD」)が登場し、後述する通り新規格ではBDの勝利で決着している。そして2011年には多くのメーカーがDVDレコーダーの生産を終了し、「VHS対ベータマックス」の項で述べた通り、最終的には船井電機(DXアンテナ)1社がVHSとの複合機を生産するのみだったが、2016年7月末で生産を終了した。この機器はDVD-R/RWの録画再生に対応し、DVD-RAM、DVD+R/RWへは対応しない。
なお、BD機器における下位互換、DVDプレイヤーの再生対応については、現状ではDVD-R/RWに対応しているBD機器/DVDプレイヤーに比べると、DVD-RAMやDVD+R/RWに対応する機器は少ない。
以上、DVDの規格争いは、日本においては概ねDVD-R/RWの勝利で終了するも、既にBDへの世代交代がなされるという結果に終わったといえる。
脚注[編集]
- ↑ VHDpc INTER ACTIONというVHD規格のゲームソフトがあり、対応するVHDプレーヤーとパソコンと接続してプレイする。
- ↑ VHDは動作原理がCDとまったく別であるため、CDとのコンパチブル機が製造できなかった。
- ↑ LD規格の開発メーカーであるパイオニアですら、Macintosh互換機のパソコンを一時期発売するものの、LD-ROMの内蔵は行っていない
- ↑ この欠点はピックアップ自体を反転させることによって両面再生を可能にすることによってユーザーの手間を解消したが、反転の際の時間的ロスはどうしようもなかった。
- ↑ レーザーディスクプレーヤー生産終了のお知らせ