ニキ・ラウダ

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
Wikipedia-logo.pngウィキペディアの生真面目ユーザーたちがニキ・ラウダの項目をおカタく解説しています。

アンドレアス・ニコラウス・"ニキ"・ラウダAndreas Nikolaus "Niki" Lauda1949年2月22日 - 2019年5月20日)は、オーストリア出身のレーシングドライバー。F1年間王者に3度輝いた。

略歴[編集]

1970年代から1980年代、つまり日本でF1ブームが訪れる前に活躍した。1975年フェラーリで初の年間総合王者に輝いた。1976年ドイツ・グランプリ(GP)で大事故に遭い、車体は炎上して大火傷を負い、生死の境を彷徨う。しかしわずか2レースの欠場後に復帰を果たした。その後、富士スピードウェイで開催された最終戦の日本GPまでイギリスジェームズ・ハントと総合優勝を争った。雨中の日本GPでリタイアし、逆転でハントに王座を明け渡した。このタイトル争いは「ラッシュ プライドと友情」として映画化された。

その後はマクラーレンからもF1に参戦し、1984年にはチームメイトのフランスアラン・プロストとの僅差の争いを制し、3度目の年間総合王者になった。

引退後は航空会社を創業するなど、経営者としても敏腕を発揮した。

2019年5月20日に死去。70歳没。