テリー・ファンク
テリー・ファンク(英語:Terry Funk 1944年6月30日‐2023年8月23日)はアメリカのプロレスラー。
略歴[編集]
インディアナ州ハモンド出身。
父親もドリー・ファンク・シニアというプロレスラーだった。兄のドリー・ファンク・ジュニアもレスラーにしてNWA王者である。
学生時代はアメリカンフットボールに興じ、卒業後プロのスカウトが来るが、1965年にプロレス入り。
1971年の12月、ザ・ファンクスとしてジャイアント馬場、アントニオ猪木組から日本プロレスの至宝インタータッグ王座を獲得。1972年5月に馬場、坂口征二組に奪い返される。
1975年12月にジャック・ブリスコを破ってNWA世界王者になる。2年後の1977年2月にハリー・レイスに負けて王座から転落。
日本では1977年のオープンタッグ選手権で、ブッチャー、シーク組との血染めの抗争で一躍お茶の間の人気者になる。
腕をフォークで刺されて流血しながらも兄を助けに行くテリーの姿は昭和プロレスファンの間で語り草である。
その後、スタン・ハンセンやブルーザー・ブロディとの抗争を経て1983年に引退するも一年後カムバックする。
1986年にはWWFで悪役に転向して日本のファンを落胆させる。
以後は吹っ切れたかのようにFMWに参戦してデスマッチをやり、IWAジャパンのデスマッチトーナメントでは準優勝している。
その後WWFのレジェンドに選ばれる。日本でも何らかのイベントには度々呼ばれている。
2023年8月23日、79歳で亡くなる。
余談[編集]
日本ではベビーフェイス(善玉)だが、アメリカではずっとヒール(悪役)だった。当時はまだそれほど海外の情報が入ってこず、日本人が英語に弱いので秘密は守られていた。
デスマッチ団体に来た時は高齢にもかかわらずムーンサルトプレスなど高難易度な技にもチャレンジしている。
『パラダイス・アレイ』という映画に敵役の子分役で出ている[1]。
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ↑ letrou0123のブログ 「パラダイス・アレイ」2023年8月25日閲覧。
参考文献[編集]
- 『THE WRESTLER BEST 1000』、1996年4月24日。