ウティ・ポシデティス・ユリス
ウティ・ポシデティス・ユリス(ラテン語:Uti Possidetis Juris、「あなたが占有している状態」の意)とは、植民地支配時に宗主国によって決定された行政区分を、独立後の旧植民地各国が領土として使用し続ける原則のことである。国際法用語。かつてはラテンアメリカやアフリカの諸国、近年では旧ソ連各国の領土の確定にこの原則が用いられている。
日本語では現状承認原則、会議原則などと訳されることが多い。
発端[編集]
この原則の起源は、ローマ帝国時代の市民法にまで遡る。当時、不動産の占有について意見の相違が生じた場合、事実上占有している者の方を正当な権利者として認めることが取り決められていた。
1800年代、ラテンアメリカの各国がスペインから独立した際、この原則が持ち出され、独立後の各国の領域はスペインの行政区分に沿って分割された。これ以後、植民地を解放した場合には、かつての宗主国の国内法に基づいて分割することが慣習とされた。
この原則に従えば、独立した旧植民地では紛争が起きにくく、周辺の地域を安定化することができる。一方の旧宗主国側も、自国の影響力を地図上に半永久的に示すことできる。
...と書くと聞こえはいいが、実際には多くの問題が起こったため、少しずつ見直しが進んでいる。
その後[編集]
旧植民地時代の行政区分は、現地の民族の生活実態に拘わらず緯度線・経度線などで定められていることが多かった。特に、アフリカには国境を越えて流浪する遊牧民が少なくなく、彼らの間では大きな混乱が起きた。だが、ウティ・ポシデティス・ユリスによれば、国境は独立時の状態から決定することとなっている。そのため、1960年代に入るまで、国境紛争が起きてもICJ(国際司法裁判所)が国境線が変更することはほとんどなかった。
そんなICJも、植民地独立が一段落すると、少しずつこの原則を見直し始める。1966年のアルゼンチン=チリ国境事件仲介判決では、独立前・独立後などの時間的な制約を設けずに、提出されたすべての証拠を考慮した。そして、1992年の陸・島・海洋事件ICJ判決で、(独立時よりも)「より遅い決定的期日[1]が、判決や国境条約から発生しうることは明らか」としてウティ・ポシデティス・ユリスの例外を認めた。
クリミア半島での実例[編集]
2014年、クリミア半島にロシアが侵攻した。クリミア半島は、かつてロシア・ソビエト共和国に属していたが、1954年にウクライナ・ソビエト共和国に割譲された過去がある。プーチン大統領は「割譲したフルシチョフは、ソ連の崩壊を予期していなかったはずだから、これは歴史の過ちを犯す行為だ」としてこの侵略を正当化した。
しかし、ウクライナは独立時、ソビエト共和国から引き継ぎクリミア半島を領有していた。この歴史的事実とウティ・ポシデティス・ユリスの原則に基づき、国際社会と国際法はクリミア侵攻を認めていない。
参考文献[編集]
https://www2.jiia.or.jp/kokusaimondai_archive/2010/2013-09_004.pdf?noprint https://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/05-23/tsutsumi.pdf
脚注[編集]
- ↑ 主に独立の日がこれに当たる、実効支配の基準となる期日。これを元に国境を確定させる