アーネスト・ロッコ・インフェリス
アーネスト・ロッコ・インフェリス(英語:Ernest Rocco Infelice、1922年/1923年 - 2005年7月21日)は、アメリカ合衆国のマフィア。シカゴ・アウトフィットのウエスト・サイド・クルーのボス。シカゴ・マフィアのNo.3だった[1][2]。ロッキー・インフェリス(Rocky Infelise)[3]、ロック(Rock)とも[4]。
経歴[編集]
ウィスコンシン州生まれ[5]。第二次世界大戦中は落下傘部隊に所属していた[4]。1989年、ジョー・フェリオーラの死後にウエスト・サイド・クルーのボスの座を引き継いだ。自動車窃盗やヘロイン取引で儲けていた[3]。ルイス・マリノはインフェリスの隠れ蓑だった[6]。1983年に情報提供者になったケン・エトーは、インフェリスを通してフェリオーラに毎月5000ドルを支払ってこと、殺人犯と知っていたがインフェリスとマリノとともに働いていたことなどを証言した[7]。
1990年にボスのインフェリスや副官のサルヴァトーレ・デロレンティスをはじめとする「フェリオーラ・クルー」の20人が殺人、恐喝、高利貸し、賄賂などの罪で起訴された。政府はインフェリスとデロレンティスが所有する家の没収とラケッティング活動で得た370万ドルの没収も求めた[8]。インフェリスとデロレンティスは1985年の毎月6000ドルの街頭税の支払いを拒否したノミ屋のハル・スミスの殺害に関与したとされる[1][8]。インフェリスの違法な賭博ビジネスを管理していたノミ屋で情報提供者のウィリアム・ジャホダは、インフェリスらがスミス殺害について話しているのを秘かに録音していた[1][4]。1993年8月にラケッティアリングと殺人の共謀罪、違法な馬とスポーツの賭博ビジネスを運営した罪、脱税の罪で63年の禁固刑と157万5000ドルの罰金、300万ドルの現金支払いを言い渡された[4][7]。2005年3月にオクラホマ州の連邦刑務所からマサチューセッツ州の連邦刑務所医療センターに移送され、同年7月に同センターで死亡した。82歳だった[1]。Find a Graveは1922年3月16日生まれで、83歳で死亡したとしている[5]。
出典[編集]
- ↑ a b c d Chicago Sun-Times、2005年7月26日
- ↑ 「Mobster Ernest Rocco Infelise dead at 82」UPI、2005年7月26日
- ↑ a b エレイン・C・スミス著、山西三穂子訳『TOKYO JOE――マフィアを売った男』講談社、2008年、334頁
- ↑ a b c d John O'Brien and Tribune Staff Writer「INFELICE PLAYS TOUGH GUY IN COURT」Chicago Tribune、1993年8月20日
- ↑ a b Ernest Rocco “Rocky” Infelise Find a Grave
- ↑ 『TOKYO JOE――マフィアを売った男』228-229頁
- ↑ a b 『TOKYO JOE――マフィアを売った男』302-304頁
- ↑ a b LARRY GREEN「20 Chicagoans Accused of Being Top Mobsters Indicted : Mafia: The charges include murder, extortion and bribery. The case is believed to be the first round in a massive probe of organized crime.」Los Angeles Times、1990年2月8日