お前はそこにいろッッッ!!!
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お前はそこにいろッッッ!!!(おまえはそこにいろっっっ!!!)とは、1613年頃に徳川家康が孫の竹千代と国松に会いに行った際、国松に対し一喝した言葉である。本項目では家康がこの様に一喝した背景と影響力について記述する。
家光・将軍就任への経緯[編集]
1607年、徳川秀忠が二代将軍に就任した後、妻の江が世継ぎとなる竹千代を産んだ。しかし子育てに多忙となり乳母を募集、結果的に春日局が竹千代の乳母となった。
春日局は竹千代の乳母として安定した教育を行ったが、江にはもう1人3代将軍候補となる、国松がいた。江は国松に竹千代よりも安定した教育を行なって、幕府の幹部からも支持を得た。しかし状況は一変。1613年頃、家康が孫2人に会いに行った際、竹千代には
「竹千代殿、わしの元へ来なさい」
と言ったが、国松にはこの言葉を放った
「お前はそこにいろッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!」
国松は激しく土下座し、謝罪した。この出来事が着火点となり、家光は3代将軍就任への道を歩む事になる。