ビートたけしのオールナイトニッポン
ビートたけしのオールナイトニッポンは、ニッポン放送製作でNRN系列局で放送のラジオ深夜放送。DJはビートたけしで1981年1月1日から1990年の真ん中へんまで木曜日の第一部を担当した。
概要[編集]
ビートたけしの魅力が詰まった深夜ラジオで、やることなすこと型破りだった。放送してすぐに「村田英雄のデカ頭コーナー」というヒットを飛ばし、村田英雄をヤングの人気者にしてしまった。
また「ショーインジャパン」というお笑い専門雑誌から紹介したホラッチョ宮崎は、一時だけ全国区の人気者になりTVにも出た。
その他、オナニーのやり方を伝授する「タマキン全力投球」というコーナーでは、「深夜坊主」というヒットを飛ばした。
コーナー[編集]
- 村田英雄のデカ頭コーナー
- 最初はデカ頭トリオコーナーだった。「村田だガムくれ」「ダイアナ・ロサンジェルス」などのヒットを出す。
- トミーバンダイコーナー
- 林家彦六ネタで盛り上がる。
- 高田さんのご子息、たけしの息子さん、すがぬまのクソガキコーナー
- 天才秀才バカの三段落ちシステムを踏襲したコーナー
- この世の物とは思えないあの世の物コーナー
- 若人あきらコーナー
- 若人あきらが年齢をサバを読んでいたので、本当は爺だネタが多かった。また眉芸のネタも多く、ブレジネフまで登場した。
- ポール牧コーナー
- キザでHなポール師匠の行動を面白おかしくネタにしていた。
余談[編集]
前任者ダディ竹千代からの引継ぎの時「どんな番組にしたいか」との問いかけに「聞いている奴が学校で思いっきり差別される番組にしたい」と答えたという。聞いたダディ竹千代は笑い転げていた。
芸人なのか芸人が好きで、自分の曲の宣伝用に先輩芸人たちの出したレコードを並べてかけたりした。筆者は由利徹の「かっくんルンバ」をここで初めて知った。
芸人仲間をネタにすることが多く、ポール牧や若人あきらのコーナーができた。
自分の出したレコード「いたいけな夏」をヒットさせたい一心で『ザ・ベストテン』へのリクエストを呼び掛けたりした。
山崎ハコの曲が暗すぎて途中で止めたこともあった。
リスナーに尺八を送り、リスナーから送り返すという不幸の尺八というコーナーがあった。
『戦場のメリークリスマス』の撮影時にはロケ地であるラロトンガ島から電波を流し、帰国後はフロッグマンがバカ受けした。
放送時間が終了するとニッポン放送の玄関には思いつめたような顔の弟子志願者が出待ちしてることが多く、口の悪いたけしは「刺されるんじゃないかと思った」と語っていた。
一度、和田アキ子が遊びに来て、つけまつ毛を忘れて行った。それが熊手のようだったから「視聴者の皆さんに和田アキ子の熊手をプレゼント」とやったら本人が取り返しに来た。
ハガキ職人[編集]
- 道上ゆきえ(ペンネーム)
- ロリコンで有名。
- ベン村さ木(ペンネーム)
- 北方領土の返還が悲願である。