1969年の阪急ブレーブスのユニフォーム

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1969年の阪急ブレーブスのユニフォーム阪急ブレーブス1962年1971年まで使用していたホーム・ビジター用ユニフォームの中期デザイン(1963年1969年)のうち、この年のオールスター戦明けの後半戦のみ使用していた中期デザインマイナーチェンジバージョン版ユニフォームの事を指す。翌年からホーム用の胸ロゴ・背番号等にオレンジの縁取り、袖・ズボンにラインが入った末期デザイン(1970年~1971年)が登場した為、便宜上短命ユニフォームとして扱う事とした。

デザイン[編集]

ズボン番号から胸番号に変更された以外はホーム用は1962年初登場時と、ビジター用は1963年に登場した当時と変わらない。1969年前半までのデザインとの相違点は以下の通りである。

  1. 1969年前半までは左袖に何もなかったのに対し、この年後半からロゴが付いた(ホーム用はHANKYU・ビジター用は筆記体Braves)。
  2. ビジター用のHANKYU胸ロゴの文字が一回り大きくなった。

概要[編集]

1974年・1975年・1976年の阪急ブレーブスのユニフォームでも触れているが、阪急は1972年1979年のベルトレスユニフォーム前期1次形時代、1年毎にユニフォームをマイナーチェンジしていた時期があった様に、ホーム用縦縞・ビジター用グレー地の中期デザイン時代も短期間のうちにマイナーチェンジが施された時期があり、1969年・1970年がそれにあたる。1969年は後半戦のみ使用のマイナーチェンジバージョンが存在した。オールスター戦明けの後半戦からマイナーチェンジ版ユニフォームを使用したこの年、阪急は3年連続リーグ優勝を成し遂げたが、同年の日本シリーズでは2勝4敗と、3年連続して巨人に敗れる。折りしも巨人はV9時代の全盛期であり、この後1971年、1972年も対戦するがいずれも敗退している。翌1970年からは末期デザインのユニフォームに変更した為、中期デザインのマイナーチェンジ版はわずか半年で姿を消した。

補足事項[編集]

1970年~1971年までのデザイン[編集]

  1. ビジター用のみだった袖・ベルト通し・ズボンのライン(中央オレンジ・両端黒)がホーム用にも取り入れられた。
  2. 黒一色だったホーム用のBraves胸ロゴ、胸・背番号にオレンジの縁取りが付け加えられた。
  3. ホーム用の基調色がそれまでの白からクリームに変更された。