1967年の東映フライヤーズのユニフォーム
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1967年の東映フライヤーズのユニフォームは北海道日本ハムファイターズの前身東映フライヤーズが1967年のオールスターゲームでお披露目し終了後に正式採用したビジター用のユニフォームであるが翌年フルモデルチェンジしたためわずか数ヶ月でお蔵入りし結果採用されていたことが知られていない幻の短命ユニフォームの事である。
デザイン[編集]
帽子とアンダーシャツ・ストッキングがこげ茶、帽子のデザインがこげ茶にFマークがオレンジ、左袖に東映マークなのは水原茂が監督に就任した1961年のフルモデルチェンジ以来変更されていないがユニフォームの色はスカイブルー。襟袖・ズボンのラインは金装飾。胸のマークがTOKYOからTOEIに変更。東映マークの下のTOEIがTOKYOに変更されていた。
概要[編集]
1960年オフに水原茂は東映の監督に就任。1967年まで指揮を執ったが、同年のオールスターゲームからビジター用のみフルモデルチェンジしていた。
1967年の前半戦終了までの東映のビジター用ユニフォームは当時のユニフォームの常識であるグレーであった。色付のビジターユニフォームは南海ホークス(緑色)、中日ドラゴンズ(小豆色→青色)、サンケイアトムズ(青色)、読売ジャイアンツ(水色)が使用した例があるがほとんどがグレーに近い色。当時原色は「前例がない色」とされていた。
しかし、球団は史上初の生え抜き監督として大下弘をオフに招聘。同時にユニフォームを新調し完全に水原色を払拭した。日本初の原色系ビジターユニフォームはわずか数ヶ月でお蔵入りになった。
ちなみにホーム・ビジター共原色系が流行するのは1973年に入ってからであるが、そのきっかけのひとつとなったのが東映が身売りした日拓の7色のユニフォームだった。