髙島屋

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株式会社髙島屋(かぶしきかいしゃたかしまや)は、大阪府大阪市中央区難波に本社がある大手百貨店である。高級百貨店として知られる。年商1,000億円を超える店舗を4ヶ所、700億円を超える店舗を2か所もつ百貨店であり、店舗数で国内百貨店のうち最大規模である。法人登記にも旧漢字の「髙」(「高」ではなく)を使用している。

沿革[編集]

1831年正月、初代飯田新七が京都で屋号を「たかしまや」(古着・木綿商)とした店を開始した[1]。間口4.5mの小店舗であった。屋号は飯田新七の養父・儀兵衛の故郷の地名から取った。1855年、古着商をやめ、木綿呉服商を開始した。

1877年、京都博覧会に美術染織品を出品する。これ以後、国内外の博覧会に積極的に美術染織品を出品し、海外の博覧会で多数受賞した。明治期の半ばから貿易業を始め、1887年に貿易部を開設した。1900年代初頭までに横浜、東京、天津リヨンロンドンシドニーニューヨークに出張所を開設した。1889年、東京・歌舞伎座や京都・祇園館の「引き幕」を調製する。

1896年、京都南店にショーウインドーを設置した。1898年、大阪店を心斎橋に開店する。1900年、東京店を京橋に開店する。

1919年資本金300万円で、株式会社髙島屋呉服店を設立した。1922年、大阪長堀橋に鉄筋コンクリート地下1階、地上7階建て(約10,500㎡)の新店舗を開設し、近代的な百貨店経営を始める。設計には中之島中央公会堂の設計者岡田信一郎、施工は竹中工務店に依頼した。

1930年、法人商号を「株式会社髙島屋」とする。1932年南海難波駅ビルの南海ビルディングに大阪店が開店する。1933年、東京日本橋に、地下2階、地上8階建ての店舗を新築開店する。設計は工学士高橋貞太郎である。1階ホールの柱にイタリアから取り寄せた大理石張りを用い、天井には豪華なシャンデリアを3本吊した。

1952年、包装紙のデザインに「バラ」を採用。1957年、(株)横浜髙島屋を設立(現髙島屋横浜店)。1958年、ニューヨーク5番街に日本の百貨店では初の海外店舗「ニューヨーク髙島屋」を開設した。1969年、日本で初めての本格的な郊外型ショッピングセンター「玉川髙島屋S・C」をオープンした。

1989年、髙島屋グループ売上高(1988年度)は百貨店で初めて「1兆円」を超えた。1996年、新宿に「タカシマヤ タイムズスクエア」を開設する。

重要文化財[編集]

2009年、日本橋髙島屋の建物が、国の「重要文化財」に指定される[2][3]。百貨店建築の重要文化財指定は初めてであった。

元の名を「日本生命館」という。生命保険会社の日本生命が建設し、髙島屋が借りていた。 中央通りに面する部分は「東洋趣味ヲ基調トスル現代建築」という指定様式により、高橋貞太郎による建築図案競技で一等となった実施案に基づいている。1933年に竣工した。戦後になり建築家村野藤吾の設計により増築があり、街区の全体を占める現在の建物が完成している。村野は高橋に敬意を払いながらモダンに翻訳した増築を行った(1951年頃)。西欧の歴史様式に、和風建築の意匠を取り入れた昭和の名建築といわれる。

1F受付に重要文化財指定に関するパンフレットがある。毎月第2金曜日に、スタッフの引率付きで重要文化財の店内見学ツアーが催される。11:00〜と15:00〜 の2回。参加無料であるが「要予約」である。

  • 名称:髙島屋東京店
  • 指定:重要文化財(建造物)
  • 重文指定年月日:2009年6月30日
  • 内容:鉄骨鉄筋コンクリート造、建築面積七七四三・四六平方メートル、地上八階地下三階建、屋上塔屋四階付

概要[編集]

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  1. 他にJR東海と合弁のジェイアール名古屋髙島屋伊予鉄道と合弁の伊予鉄高島屋(旧・いよてつそごう)がある。

公式ページ[編集]

髙島屋