高英姫
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高英姫(コ・ヨンヒ、韓:고용희(고영희)、英:Ko Young-hee(Ko Yong-hui)、1950年6月16日 - 2004年8月13日)は朝鮮民主主義人民共和国の元最高指導者・金正日の四番目の妻。現在の指導者金正恩の生母。本名「コ・チュンヘン」[1]。「高容姬」とも書かれる。
高英姫 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 고영희 |
漢字: | 高英姫 |
発音: | コ・ヨンヒ |
日本語読み: | こう えいひ |
英語表記: | Ko Yung-Hee Go Yeong-hui |
経歴[編集]
- 1950年(昭和25年)6月16日、日本の大阪市生野区鶴橋に生まれる。母親は日本人であった[2][3]。
- 1956年、生野区北鶴橋小学校に入学[4]。
- 1961年5月18日、北朝鮮に帰国し[5]、平壌芸術大学に入学。
- 1970年、平壌芸術大学を卒業。映画「金剛山の処女」に踊り子として出演し、金正日の目に留まったと言われる。
- 1971年、万寿台芸術団で舞踊家として活動する[6]。
- 1972年、金正日に始めて会ったと言われる。
- 1973年1月28日、自宅で療養中の高英姫氏を金正日が見舞う。その後、万寿台芸術団を退団し、平壌外国語大学に入学する。大学卒業後は、朝鮮民俗博物館外国語講師となる。
- 1973年、万寿台芸術団訪日のとき、来日している[7]日本公演は1973年8月2日から9月13日までの約1ヵ月半で、東京、大阪、広島、福岡、神戸、京都を巡り、革命歌劇と音楽舞踊の昼夜公演を行った。主催は日本朝鮮文化交流協会と朝日新聞社であった[8]。
- 1981年9月25日、金正日の次男である金正哲を産む。
- 1984年1月8日、金正日の三男である金正恩を産む。
- 1988年9月26日、金正日の四女である金与正(キム・ヨジョン)を産む。
- 2004年8月27日、パリで手術した[9]と報道されている[10]。パリでガンの手術中に死去したと伝えられる[11]。
- 2012年、金正恩は大成山の国立墓地に高英姫の墓を建設した。
生前の写真[編集]
高英姫の生前の写真が公開されており、片手に拳銃を持っている場面、公開の席上隊列で韓服を着て拍手する写真、軍服を着た若い金正恩のそばに立つ場面などである。「不世出の将軍である敬愛する金正日総書記の最も重要な革命同志」と紹介されている。北朝鮮で製作された「先軍朝鮮の偉大なお母様」というタイトルの1 時間30分映像で使用されている[12]。
父親[編集]
父親は済州島から渡日[13]した柔道6段の韓国人「高太文」(コ・テムン、「高泰文」とも書かれる)。1920年1月10日韓国済州島生まれで、日本名は高山洲弘、柔道からプロレスに転向した。レスリングのリングネームは大同山又道。で広田裁縫所に勤務していた[14]。1955年(昭和30年)に大阪で「東亜プロレスリング協会」を旗揚げした[15]。1954年に木村政彦によって結成された国際プロレス団との対抗戦に敗れた後、北朝鮮に渡ったと言われる。
注[編集]
- ↑ 別説に「高姬勳」とも言われる
- ↑ 生年月日は1952年6月26日の説もあるが、高英姫の自叙伝『柔術愛国者』の方が信頼性が高いようである。
- ↑ Ian Jeffries(2006)"North Korea: A Guide to Economic and Political Developments"、Routledge; 1 editionにも1950年6月16日生まれとされている。
- ↑ 高英姫伝記からの真実The Journal、2006月12月03日
- ↑ 日本の帰還事業で北朝鮮に渡り、父親は柔道指導者として活躍し、強豪選手を育てた。
- ↑ 김정은생모미공개사진DailyNK、2011年5月30日
- ↑ 김정은 위원장의 친모 고용희의 20대 사진이 발견됐다HuffinPost、2018年4月17日
- ↑ 北朝鮮の芸術団来日公演は突っ込みどころ満載ZakZak、2018年2月5日
- ↑ 「乳がん」と言われる
- ↑ A Mystery About a Mistress in North KoreaNew York Times、2004年8月27日
- ↑ Hart, Joyce (2007) "Kim Jong II: Leader of North Korea" Rosen Publishing Group, New York
- ↑ “北김정은생모사진 6장공개”…권총든고영희생전모습 2012年6月11日
- ↑ 1929年ないし1933年ころ来日したと言われる
- ↑ 金正恩氏の祖父がかつて「力道山と腕相撲して勝った」の証言News Postセブン、2010年10月29日
- ↑ 斎藤文彦(2016)『昭和プロレス正史』イースト・プレス