高殷

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高 殷(こう いん、武定3年(545年) - 皇建2年(561年)9月)は、南北朝時代北斉の第2代皇帝559年 - 560年)。初代皇帝・文宣帝高洋の長男。廃帝となったために皇帝としての諡号は無い。

生涯[編集]

父は文宣帝。母は昭信皇后

文宣帝の皇太子であり、559年に父帝が崩御したため、第2代皇帝として即位する。しかしこの時はまだ15歳の若年のため、後見に叔父の高演(のちの孝昭帝)が就任した。

文宣帝は崩御する直前、高殷が高演にやがて簒奪されることを恐れて「お前が簒奪するのは仕方ないが、殷は殺さないでくれ」と遺命していた。560年、高殷は高演に廃されて済南王に降格し、鄴に住むことになった。高演は孝昭帝となり、兄帝の遺命もあって高殷は助命されていた。

561年9月、鄴に「天子の気がある」と望気者(気によって占う者)が言ったため、孝昭帝は後難を恐れて高殷を殺害することを決意し、勅使が高殷の下に差し向けられ、毒薬を飲んで自殺するように迫られた。高殷は毒薬を飲むことを拒否したため、勅使によって高殷は強引に扼殺されたという。17歳没。

宗室[編集]

后妃[編集]