馬殷
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馬 殷(ば いん、852年 - 930年)は、五代十国の楚の初代君主(在位:896年 - 930年[1])。王号は武穆王(ぶぼくおう)。字は覇図。
生涯[編集]
許州鄢陵(現在の河南省)の出身[1]。最初は木工職人だったが、唐末期の動乱の中で流賊の秦宗権の武将・孫儒の配下となって各地を転戦し、孫儒が死ぬと劉建峯の武将となって湖南地方で勢力を拡大し、劉建峯が死ぬと湖南留後となった[1]。907年に唐が滅んで後梁が成立すると太祖から楚王に封じられる[1]。以後、湖南地域全土に勢力を拡大し、民政を安定化させ、産業を奨励して富国強兵に励んだ[1]。923年に後梁が滅んで後唐が成立すると、後唐に対して朝貢して楚王に封じられ、制度や文物では中原王朝にならって終始、中原王朝に服従した[1]。
930年に死去。享年79。跡を次男の衡陽王が継いだ。