馬 希広(ば きこう、? - 950年)は、五代十国の楚の第4代君主(在位:947年 - 950年[1])。廃されたため王号は無く、歴史的に廃王(はいおう)と称される[1]。
初代君主・武穆王の子[1]。第3代君主・文昭王の同母弟[1]。947年の兄王の死去の直前、その遺言により即位する[1]。しかし兄の馬希萼に背かれて対立・抗争し、馬希広は敗れて王位を馬希萼に奪われ、妻子もろとも殺された[1]。