馬 希萼(ば きがく、生没年不明)は、五代十国の楚の第5代君主(在位:950年 - 951年[1])。王号は恭孝王[1]。
初代君主・武穆王の子[1]。第4代君主・馬希広が即位するとそれに不満を抱いて反乱を起こし、馬希広とその妻子を殺害して自ら王に即位した[1]。
しかし自分の反乱を助けた弟の馬希崇が王位を狙って再び反乱を起こしたため、この反乱で馬希萼は王位を追われて捕虜になった[1]。だがその反乱で南唐の侵攻を招き、楚は滅亡した[1]。馬希萼は南唐の庇護を受けて天寿を全うした[1]。