陳 容(ちん よう、? - 196年)は、中国の後漢末期の武将[1]。
広陵郡の出身[1]。臧洪と同郷で若い時に書生となって臧洪を親のようにしたって行動を共にした[1]。東郡の丞となるが、臧洪が袁紹と対立して攻められた際、臧洪は陳容を逃がそうとした[1]。しかし臧洪が袁紹に捕縛されると陳容もその場に同席させられ、袁紹が臧洪を処刑しようとすると陳容は袁紹を激しく罵ったため、共に処刑された[1]。この袁紹の行為に周囲は「1日で2人の烈士を殺した」と呆れさせたという[1]。
『三国志演義』には登場しない。
参考文献[編集]