阿川弘之

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阿川弘之(あがわ ひろゆき、1920年12月24日-2015年8月3日)は、作家。「第三の新人」に数えられる。

人物[編集]

広島県生まれ。旧制高校在学中に同人雑誌『こおろ』を創刊。1942年東京帝国大学文学部国文科を繰り上げ卒業して海軍に入る。卒論は志賀直哉。海軍少尉として山本五十六に近侍。広島の原爆で親族を亡くす。

1946年帰国後、志賀直哉に師事し、処女作「年年歳歳」を発表。1949年から二度芥川賞候補になる。1952年、従軍体験を描いた『春の城』で読売文学賞を受賞。1954年、原爆を描いた『魔の遺産』。1956年『雲の墓標』、1966年『舷燈』、1966年『山本五十六』で新潮社文学賞受賞。74年『暗い波濤』。山本五十六の搭乗機を捜しに行く『山本元帥!阿川少尉が参りました』、伝記小説『米内光政』、新聞連載『ぽんこつ』などもある。

1978年、日本藝術院賞・恩賜賞受賞、日本藝術院会員。87年『井上成美』で日本文学大賞受賞。93年、文化功労者。94年『志賀直哉』で毎日出版文化賞野間文芸賞受賞。

1999年、文化勲章受章。2001年『食味風々録』で読売文学賞を受賞。2007年、菊池寛賞受賞。

鉄道好きで、1959年、絵本『きかんしゃやえもん』(岡部冬彦絵)を書いたほか、『南蛮阿房列車』シリーズを書き、83年交通文化賞を受けている。

海軍を善玉、陸軍を悪玉として描く。右翼作家と思われているが、家には神棚がなかったという。政治的に相容れない大江健三郎は、文学賞の選考で落とされた時、阿川のせいだと思って文壇バーで顔に水をひっかけた(のち恥じていると言った)。

娘に阿川佐和子がいる。佐和子は、「いつか阿川佐和子の父の阿川弘之と言わせてみせる」と念じ、実現したという。息子の阿川尚之は国際政治学者・慶應義塾宇大学名誉教授。

『志賀直哉』について「評伝」と言われると、「伝」は書いたが「評」は書いていない、と言った。作家になった理由について「家族を養うためと、少しの虚栄心」と答えていた。