関澤義

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関澤 義(せきざわ ただし、昭和6年(1931年11月6日 - 令和3年(2021年1月20日)は、日本実業家。元富士通社長。姓は関沢とも書かれる場合がある。

来歴[編集]

東京府出身。既婚者。

東大工学部を卒業し、昭和29年(1954年)に富士通信機製造と称していた当時の富士通に入社する。平成2年(1990年)に社長職に就任し、8年間在職した。その間、アメリカアムダールの100パーセント子会社化などを手掛けたり、成果主義の導入など人事制度の改革に当時としてはいち早く取り組んで経営手腕を見せた。日経連(現在の経団連)の副会長なども務めている。

令和3年(2021年)1月20日午後6時35分、誤嚥性肺炎のため、神奈川県横浜市港北区病院死去した。89歳没。