長谷川秀康

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長谷川 秀康
はせがわ ひでやす
改名 権介(通称)
性別
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生年月日 不詳
死没日 不詳
肩書き 豊臣家・家臣
国籍 日本国旗.png日本
父:長谷川可竹:不詳
家族構成 秀一秀康

長谷川 秀康(はせがわ ひでやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将豊臣氏の家臣。

生涯[編集]

通称は権介[1]。秀一の弟で、文禄2年(1593年)2月に秀一が朝鮮半島に出陣中に陣没したため、家督と遺領を継承した[1]。ただ、秀一には男子が無くそのため長谷川家は断絶したとする説もあり、この辺りの経緯がよくわかっていない。

中山家記』によると、文禄3年(1594年)1月に侍従に任官している。そして、兄と同じように羽柴東郷侍従と称した[1]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. a b c 岡田 1999, p. 270

参考文献[編集]